鳥羽天皇、院政のため譲位して子の崇徳天皇(5歳)を即位させる



鳥羽上皇、崇徳天皇22歳の時に譲位を迫り、寵愛していた女の子を近衛天皇に即位させる



鳥羽上皇、崇徳上皇が祖父白河上皇の子だという噂を聞きつけ崇徳上皇を冷遇し、自ら院政を行う



この頃関白藤原忠通に息子が産まれたため左大臣藤原頼長との間で後継争いが勃発、忠通の嫌がらせで頼長は悪い噂を流され、近衛天皇に嫌われる
近衛天皇に嫌われた頼長は崇徳上皇に接近



近衛天皇崩御、忠通の嫌がらせで頼長が近衛天皇を呪い殺したという噂が流れ、崇徳上皇の子ではなく弟が後白河院天皇に即位



忠通の嫌がらせで頼長と崇徳上皇が結託して謀反を企んでいるという噂が流れ崇徳上皇ブチギレ、崇徳上皇は武士を集め後白河天皇を倒すべく保元の乱を起こす



頼長は戦死、崇徳上皇は讃岐に流される



崇徳上皇、反省して写経の日々を送り「京の寺に収めてほしい」と経文を朝廷に送りつけるが「呪われてそう」と受け取り拒否されショックで自殺
自殺の際に「自分が大魔王となって天皇を平民とし、平民を天皇にしてやる」と血で写本に書き込む