ずんだもんを学術的に研究しているのだ
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あまりに身近すぎる存在ゆえ研究の前例があまりなかったずんだの妖精にも、昨今のブームの影響で日が当たりつつあるのだ ずんだもんが文献として歴史上に姿を表すのは陸奥の蝦夷征伐の後、つまり平安時代中期に朝廷が蝦夷の民を同和する政策を打ち出してからなのだ
当時の国司が中央に向けて送った木簡に「豆打之者(ずだのもの)」と記されていたのが最古のずんだもん記録なのだ
大豆の原産地は東アジアであり、日本の大豆の栽培の歴史は紀元前から続いているというから、本当はもっと昔からずんだもんたちは人間のそばで暮らしていたはずなのだ
それがその頃には既に東北の山中に集中して生息していたのというのは、ずんだもんの存在が仏教とは相容れない関係にあったからなのだ
このあたりは正直専門外だから宗教に詳しい人に任せたいのだ 時は下って江戸初期には農地開発が進むとともに大豆の生産も更に盛んになっていったのだ
けれど仏教から厭われた身であるずんだもんたちは市井に姿を表すことはほとんどなかったというのだ
その一方で伊達氏や南部氏は東北を度々襲った飢饉への対策として五穀豊穣の一部を司るずんだもんたちを山奥で密かに祀り上げていたのだ
これが今日で言う「ずんだもん神社」と「ずんだもん信仰」なのだ
飢えに苦しむ人々にずんだもんたちは手を差し伸べ、時にはその身を犠牲にしながら救っていたそうなのだ
このあたりは柳田國男の著書に詳しく記載があったりするから読んでほしいのだ その後維新が成って通り雨のように訪れた廃仏毀釈運動が去っていった後、富国強兵を目指す政府は国家神道の中にずんだもんを取り入れようとしたのだ
食料としても飼料としても油脂の採取用途としても国を下から支える大豆の増産なしには近代化を推し進めることはできなかったからなのだ
けれどずんだもんたちの帰属意識は日本という近代的な枠組みではなくあくまで東北地方にあったから拒絶して山に籠もったのだ
もちろん政府はそれにいい顔をしなかったから、武力を以ってずんだもんたちを従わせようとしたのだ
ずんだもんは住処としていた山あいの村を追われ、各地へと散り散りになったのだ 妖精として生きていくことが難しくなったずんだもんたちは様々な手段で人間の世に溶け込み生きていくこととなったのだ
あるずんだもんは座敷わらしのように大豆農家を転々とし、あるずんだもんは小間使い兼愛玩動物として首都圏の中産階級に愛され、またあるずんだもんは己の身を売って生計を立てたのだ
大正の頃、身体を売って暮らしていた仙台市のずんだもんたちが寄り添って"カッフェー"を1軒立てたのだ
これがいわゆる「ずんだもん喫茶」の始まりなのだ
これは当時の喫茶店の例にもれず一部特殊な接待をウリにしたお店だったのだ
なお、このずんだもん喫茶は特殊接待を抜きにしていまでも老舗として営業しているし、建物は国の有形文化財として保護されているのだ
和洋折衷でフォトジェニックだから隠れた観光名所なのだ 素人質問で申し訳ないんですがこの研究はどういう意義があるんでしょうか やがて戦争の時代が来て、過ぎていったのだ
焼け野原となった東京で、何もかもを失った愛玩用のずんだもんたちは進駐軍や出稼ぎ労働者を相手に上野や御徒町で立ちんぼをしていたのだ
赤線規制が入ったあとは組織となって、一部では裏社会ともつながり、やがて今日みられる「ずんだもんなでなでカフェ」業界が成り立ったのだ
そして一昨年の秋に首都圏では行き過ぎたカフェの大規模摘発がはじまり、ほとんどのお店が消えてしまったのだ
これにより職を失ったずんだもんはyoutubeなどで生計を立てるようになったのだ
そうして訪れたのが昨今のずんだもんブームなのだ 今に至るまでのずんだもん史の概要は以上なのだ
質問のある学生は研究室のポストに投書してくれれば次回の講義の合間にでも答えるのだ
または在室中なら直接答えることもできるから遠慮なく来てほしいのだ
板書は残しておくから好きに撮るのだ ずんだもんガイジは仕事が辛すぎておかしくなってるのだ 優しくしてあげてなのだ >>7
古代から現在まで脈々と続く民俗史の一部門でしかないのだ
ずんだもんがどこから来てどこへ向かうのかを解き明かせるかもしれない程度のものなのだ
人文科学なんてそんなものなのだ >>12
ずんだもんたちが自発的にはじめた生存のための手段に反社会的勢力が入り込んできただけなのだ
特に戦後赤線規制が入ってからはその傾向が強かったのだ
それに頼らないと生きていけないずんだもんがいたのも事実だし、行政がいままで妖精の諸問題について無視してきた結果でしかないのだ
多くのずんだもんたちには他に選択肢がなかったから被害者なのだ >>17
死にゆくずんだもんは人に害を与えるわけでもなく静かに消えるからなのだ >>16
豆打之男子(ずだのおのこ)には生えてるし、豆打之女子(ずだのめのこ)には生えていないのだ 歴史の表舞台からは長らく降りていたものの、口伝の民間伝承や民謡などにはずんだもんの存在が確認できるのだ
こうした非文字史料を読み解けば中世~近代にかけての失われた歴史を復元させることができるかもしれないのだ 戦後の混乱期に糧を得ようと東北から上野へと向かったずんだもんたちは少なくなかったのだ
しかしその後の消息は残っていないのだ
大半は行き倒れて消えていったけど、もしこれが人間と同じく死体が残っていたとしたら大きな問題になっていたはずなのだ ズンダモンはズンダモン酸の存在とその性状から予想されるように、酸化数(Ⅵ)の状態が安定である ずんだもんカフェの摘発もずんだもんたちの実情をわかっていない政治家が制定した「雑穀類妖精の管理と保護に関する法律」によって始まったのだ
あれではホームレスの排除と同じで臭いものに蓋をするだけなのだ
ずんだもんが生きていくための基盤と社会保障をどうにかしてからじゃないとだめなのだ 都内に30000個体が生息しているとされるずんだもんのうちどれほどが性風俗産業で働いていたのかはわからないのだ
さらにそのうちどれほどが職を失い路頭に迷い一人で消えていったのかもわからないのだ ズンダモン酸カルシウムは硫酸カルシウムと比較して溶解度が大きい >>33
メチルフェニデートズンダモン酸塩を投与する ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています