「日産の金は俺の金」…ゴーン氏、異常な強欲さの裏に「例外者的な特権意識」と幼少期の屈辱
https://biz-journal.jp/2018/11/post_25651.html

見逃せないのは、ゴーン容疑者が移民であるがゆえの悲哀を味わった形跡があることだ。彼は、ブラジルでレバノンからの移民の家庭に生まれたが、6歳のときに家族とともにレバノンに戻っている。

そして、レバノンで少年時代を過ごした後、フランスで大学教育を受けるために単身渡航したという。

 いくら優秀とはいえ、レバノンでアラビア語を、フランスでフランス語を流暢に話せるようになるまでは、からかわれたり笑われたりしたことがあったはずだ。

子供には大人よりも残酷なところがあり、友達のなまりをバカにしたり、まねしたりする。ゴーン容疑者も、そのターゲットにされて、“エトランジェ”(異邦人)としての悲哀を味わった可能性が高い。

 こういう屈辱的な体験をバネにしてがんばったからこそ、輝かしい成功をおさめたのだろうが、同時に自分には責任のないことで苦しみ、不自由な思いをしたと感じ、
「不公正に不利益をこうむったのだから、自分には特権が与えられてしかるべきだ」と考えたのではないか。

 このように自分が味わった体験や苦悩を根拠にして、自分には例外的な特権を要求する権利があると思い込む人をフロイトは<例外者>と名づけた。<例外者>は次のような思考回路に陥りやすい。

「人生は俺に損害賠償をする義務がある。俺は賠償を取り立てる。俺には自分が<例外者>であることを要求する権利がある。普通のやつらが遠慮するようなことでも、実行する権利があるのだ」

 しかも、<例外者>は、自分が味わった屈辱や悲哀を「不公正」なことと受け止めがちで、「俺は不正をすることができる。俺に不正が行われたからだ」と考える。

そして、しばしば自分自身の不正を正当化する。幼少期に貧しい家庭で苦労した人が、大人になってから不正に手を染めてでも金儲けに執着することがあるが、これは<例外者>だからである。


ゴーンに対しても全く同じ事を言ってて草