なんJ”死”について考えて発狂部
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いつか訪れるし避けられない死を考えると日常生活送れんわほんま 養老孟司先生が自分の死を考えることは無意味だと言ってた >>8
コンピュータに脳みそ移すだけだからもっと安くなるんちゃう 半ニートみたいな大学生の時死ぬのめちゃくちゃ怖かったけど
働いてからどうでも良くなったわ
お前らニートかゴミ大学生で余計なこと考える時間あるだけだよ 宇宙にロクな生命体いなさそうで地球なくなったらどうなるんだろう部は? 毎日眠ってるのって実質死んでるに等しい気がするわ
まあだからって死ぬのが怖くないってわけじゃないけど 自分が死ぬのはどうでも良いけど親が死んだ後のこと考えると大変やな
本格的に孤独になるし親の身辺整理や墓も用意しないとあかんし実家の遺品や処理も大変や かといって生き続けるのもきつい
好きなタイミングで安楽死したい ワイは十分ときめいたから死など恐れはない、今死んでも全く悔いはないわ >>6
ここが地獄なら無限に続けや…こんな短い時間しか存在してられんとかおかしいやろ… 死んだら元いた宇宙に還るだけやぞ
生きてる時間の方がある種のバグなんや 死なんて無から有が誕生してるこの現実に比べたら屁みたいなもんやろ 無ってなんなんや
宇宙も無から出来たということは宇宙にもなれるんか 肉体そのものが細胞分裂と細胞死で常に入れ替わっていることを考えると
今自分があるという認識を肯定するために便宜的に脳が生と死という概念を生み出しているにすぎないと思うわ
だからといって死が怖くないっかっていうとこれがやっぱり怖いんだな >>26
は?紙てなんや?
おまえ原油の味知らんやろ >>28
脳が自分の存在を肯定するなら
重度の認知症とかなったらそれは自分は死んでしまったてことなんかなとか思ってしまう Q.死が怖くない人間は何故いないのか?
A.みんな本当に死んで滅んだから
>>31
尊厳死の発想はまさにそこだろ >>31
自分が生きているか死んでいるかも認識できないなら
すでに生と死を問う必要性がないから言葉で議論しなくてええんちゃうかと思うわ
他人からみて生きているかどうかは自分が生きているか死んでいるかという問題についてはフィクションみたいなもんやろ すごーく良い感じで死ねる確立とすごーく良い感じで生きられる確立はどっちが高い?
死に方の方が自由だと思うんだ どうせ死んだら死んだことすら意識がなくなるんやし死ぬのは怖くないけど
痛いのだけはマジで勘弁 >>37
すごーく良い感じで生きられる晩年はすごーく良い感じで死ぬことだろ
つまり同義 インセプションみたいに夢に逃げ込むことは無理やろか 自分の死は人生の中で最大のワクワクお楽しみイベントやろ? がんになってゆっくりと死に近づいていくのが怖い
かといって心筋梗塞とかである日突然死ぬのがいいわけでもない 永久の無って考えると怖いけど
永久に意識あるほうが怖いわ ワイ10代でとある50代の女性声優にガチ恋してるんだけど
最低でも今のその人の歳までは生きようかなって 割とまじで考えたらヤバいからやめろ
99.9999%は永遠の無になるんや
産まれる前の状態が永遠に続いてもう戻ることはない
意識が永遠になくなるとか考えただけで恐ろしいから何にも考えるな
やめとけまじで 生き物が死を恐れるのも所詮そういうデザインってだけやぞ
必要なものを良く感じたり忌避しなきゃいけないものを悪く感じたり
生き物を成り立たせるための設定に振り回されて終わりでいいのか?
それを全て捨てた先に別の世界観が待ってるかもしれんぞ 親が死ぬと感じ方がよりリアルになるたまに眠れなくなる >>53
痛みを受け入れろって背中へ油垂らしたり手の甲に硫酸垂らしてそう >>15
ほんこれ
死ぬことよりも周りに死なれることやそれまでの苦しみが怖い 死を恐れるなら、「意識」などという現象学的なものの存在を信じるのをやめた方がいい。もともと「意識」などというものは存在しない。自分という人間がいてそいつが生物学的に死ぬだけ。医学的な意味で意識を失うだけや ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています