1~3は玩具っていうカテゴリーの中での在り方や生き方を物語にしてたんや
「玩具は遊ばれてこそ」「いやいや遊ばれない玩具は博物館の方が幸せだろ」
「もしまともな玩具しない子供に選ばれたら」「いずれ子供は玩具を捨てるだろ」
どれも4と何が違うって思うかも知れないけどこれらは玩具が動いていないとき
つまり生きていないときの在り方は何が正しいかに終始していたわけやな

これが4になると急に玩具という言葉を使って「社会的弱者」の在り方を描くようになった
玩具は動いているときが正当で、新たな生き物なんだって描き方に変わってしまった
アンディやボニーといった飼い主がどうこうじゃなく作品を壊してるんだよね