遺族「2年間、どう生活し、生きてこられましたか?」

飯塚「私は事故の年の暮れくらいから非常にふらつきが大きくなり、板橋の⻑寿センターというところにかかったところ、大脳皮質変性症という難病と分かった。それは去年の秋です。薬が効かないのでリハビリしか。
運動機能を低下させないようにということで、 毎日それをやっております。なかなか辛い毎日でありました。
それから、まなさんとりこさんの月命日には必ずお線香を上げさせていただいていました。無罪を主張 するということは心苦しいと申しました。
決してご遺族の悲しみや苦しみを理解していな いわけではございませんので、本当にそうだろうなと思っております。」