江戸時代の庶民さん、1日40キロ歩いてた
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"江戸時代の旅人は1日で何キロくらい歩いたの?" https://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_tokaido/04_qa/index4/answer1.htm
一般的に江戸を立って京に向かう場合、最初の宿泊地となったのが戸塚宿、あるいはその手前の保土ヶ谷宿でした。
日本橋から保土ヶ谷宿までが八里九町(約33km)、戸塚宿までは十里半(約42km)です。ですから1日の行程はおよそ八里から十里強(約32~40km)といえそうです。
もちろんこれは成人男子の場合ですが、歩行速度を時速4kmとすると、単純計算で約8~10時間も歩くことになります。そのためには夜明け前に出発し、夕方日が暮れないうちに次の宿に着くようにしていました。
『東海道中膝栗毛』の弥次郎兵衛・喜多八の二人が江戸を出て最初に泊まったのは戸塚宿ですが、2日目は戸塚から小田原まで約40km、3日目は小田原から箱根まで約30km強を歩いています。
毎日10時間も歩きつづけながら目的に向かうというのは、現代では考えられそうもありませんが、履物も草鞋履きであったことも考え合わせると、一般的に昔の人は想像以上に健脚だといえそうです。 >>6
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東海道の歴史-江戸庶民の東海道-
庶民の旅はじまる
慶長六(1601)年に整備がはじまった東海道は、徳川政権の安定によってしだいに軍事的役割の色が薄れ、17世紀を通じて東海道筋の治安は極めてよくなりました。庶民の生活にはゆとりが生まれ、元禄八年には大量の金銀貨が発行されて庶民の間にも通用するようになり、第一次東海道ブームが起こります。領主や主人の許可を得れば、時間があって金銭さえ持てれば、誰でも安全な旅を保証される時代が到来したのです。
一般の人々が旅に出かけようとするとき、「遊びに行く」では主人の許可がおりませんから、ほとんどが社寺参詣という宗教行為を旅の名目にしました。許されない場合は「抜け参り」と称して無断で旅に出ましたが、目的が参詣であるために帰ってから思い罰を受けることはなく、元の仕事に戻ることができました。さらに、東海道筋の人々も「抜け参り」の旅人に路銭を与えたり、食べ物を供したりして旅を支援しましたから、庶民の旅は社会のシステム上でも恵まれていたといえます チビガリやし1日8時間労働と考えたらそんなもんやろ NHKの雲霧仁左衛門で江戸 → 京都と移動しながら「つとめ」をする展開あったけど、疲れないのかと思った >>11
わらじとか足袋って慣れると超歩きやすいで
おかげで腰痛と膝痛が治ったわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています