怪我することで覚えるんだ〜みたいな考えを有り難がる風潮が大嫌いなんだけど共感できる?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
挑戦しない、経験しないことで
余力が生まれて、新たな発想が浮かぶこともあるわけで… 昨夏に劇場鑑賞したファブルがまさにこれで不快極まりなかった そういうのは下手だけど挑戦する奴向けの思想や
失敗しても良いからがんばれって励ますためやな >>5
昨夏に劇場鑑賞したファブルがステレオタイプでげんなりした なんでも挑戦すればいいって訳じゃないのが前提だぞ
選択と集中が大事なんや 余計なトラウマを植え付けられ、ブレーキかかるケースもあるし… >>9
挑戦の為の挑戦は良くない、とは思う
挑戦したという事実ありき、というか… 選択するってこと自体がもう挑戦だろ
その結果でダメージあってもそれを糧にしろってだけちゃうの イッチの言ってるのは頭よくて才能あるやつ限定や
無能は怪我してでも実践していかないと何もできないで 座学と実技の違いやん
どっちもやらんと本当の意味では身に付かん 失敗するのが一番手っ取り早いと思う
もちろん失敗の程度によるが >>12
失敗すること、怪我することが目的でないだろとは思う
怪我せずに覚えられりゃ、それはそれでありやん 失敗する前に学ぶ方法が見つかりゃ、それはそれでいいだろとは思う >>14
ギリギリまで動かないことが正解なケースもあるわけで… 怪我することで覚えるってよく言われるのはみんな怪我をしたくないからや
でも覚えるためには怪我をする必要があることもあるから
そういう言葉を信じて勇気を出すんやろ 数打ちゃ当たる、とは言うけど
そうこうしているうちに疲れ果てたら無意味、って話 人間間違わなきゃ進歩がないでしょ
出来ることばっかやったって意味ないでしょ >>18
間違いではないけどできるやつは限られるから 共感できるかって聞かれたら共感はできない
材料と料理を見て味を想像するより食った方が早いし >>29
やたら有り難がったり、持ち上げたりする風潮が嫌なんだ >>24
怪我をすることが目的ではないよな、とは思う 怪我しなくても覚えられりゃ正解なのに
怪我していないから駄目、みたいなのが不快なんだ 全く転ばずに自転車に乗れるようになった人間ってどれくらいいるのだろうな 失敗していないから駄目みたいなのは確かにきしょいなと思う でもネットリテラシーはアングラサイトで騙されながら身につけるもんやろ >>31
目的ではないな
昔はそういう努力するのがえらいみたいな風潮があって
その流れもあるのかもしれん 闇雲にエネルギー使うばかりが方法ではないだろ、って話 >>39
まあそんな感じ
怪我する前に覚えられりゃ、それはそれで正解なんだ
それを過保護だ〜と否定する風潮が嫌いで ワイもイッチと同意見というかその一回の怪我が致命傷になるパターン想定してないのが怖いなって思ったわ ファブルが不快過ぎて、1年経っても思い出してしまう
まさに余計な経験をして振り回されたパターン、見なけりゃよかった 「努力症候群」にはならんようにしとるわ
何のために積み上げてるのか?ってことは常に意識せんとな 割と俺自身が
しなくていい経験、しちゃいけない経験をしてきたから尚更思う 例えば東大現役合格よりも何年もかかって合格した方ががんばったねって言われるみたいな感じ? >>45
兎飛びの国だから、結果より過程を重んじがち
法律違反でなけりゃ、過程なんて人それぞれだろ >>31
そらそうやろ
この例だと美味い料理作るのが目的であって味見するのは美味いか不味いか確かめるためなんやから
どんだけ天才と言われた料理人でも味見もせんで達人になれた料理人はおらんで >>9
選択と集中って一番バカな言葉やと思う
そもそも選択すべきことを選択できたら誰も苦労せんし >>52
やたら有り難がり持ち上げる風潮が嫌なんだ
失敗しない成功は、失敗しての成功よりある意味では価値ある イッチなんかキモいわ
お前が嫌いって言ってる奴らの正反対にいるキモさ
ほとんどの人はそこらのバランス取って生きてんで 失敗せずに成功するって凄いことなんだから、それを軽んじては駄目だろって思う >>59
失敗せずに成功することなんでないから考えるだけ無駄 達人の生涯唯一の大怪我に価値があるんであって怪我ばっかのトーシローの怪我に価値なんてないからな >>45
積み上げることが目的ではないよな、という話 >>48
費やした月日と東大合格、秤にかけたら…とは思う ファブルが不快で、ずっと思っていたことを言葉に出来た感はあるかな しなくていい経験、しちゃいけない経験があるのは事実 失敗して覚える…って言いながら、何度も挑むうちに
失敗の為の失敗と化し、本来の目的を見失いがち >>63
初めに毒食って死んだトーシローがおらんかったら達人もその毒食って死んでたかもしれんのやで
なにか行動起こした人間の怪我には価値ないものなんてないと思うで 割と自分が何年も、大きな目標の為に
しなくていい失敗をしてきたから尚更思う
もし成功しても、この年数は戻らないわけで >>72
失敗から学ぶのはいいけど、失敗することが目的でないという話
学ばない失敗は、失敗しない成功より失敗だ 挑戦しない、経験しないことは
必ずしも悪ではないという話 パワハラで学んだことも確かにあるけど、だからってパワハラを正当化する理由にはならないし >>15
失敗しないとわからないのは良くないわ、とは思った パワハラのトラウマでブレーキかかったのを痛感したから尚更 続けていくうちに、手段が目的化するのは不可避
そうなる前に、失敗せずに覚えるのも必要なんだ
余力があるから次に繋がりやすい 文面通りの話になっちゃうけど、適度に運動したほうが強くなるっていって何針縫ったり骨折れたりしてる運動部はアホやろ >>1
ぼーっとしてる時にアイデアが突如生まれるのはその前に集中して取り組んで問題の構造をある程度把握している時だけだぞ
何もせずにぼーっとするだけじゃ何も生まれん 失敗を経て成功しても、疲弊して次に進みにくいし
成功する頃にはどうでもよくなり、成功を甘受できなくなり得る 成功する頃には疲れ果て、成功が成功でなくなるのが嫌なんだ 一度失敗しないと分からないことも腐るほどあるんだよなあ >>99
ない
それは覚えてないだけや、過去に何かしら試行錯誤しないとぼーっとしてる時に閃く現象は起きない >>101
成功する為の失敗ならまだ良いけど
続くと失敗の為の失敗と化しがち 予備校通いが長引き楽しくなり、大学進学を拒んでは駄目だろって話 >>105
失敗を経ていない成功も、紛れもなく成功なんだ >>104も割と真理
失敗が長引くと、それが当たり前になり
現状維持を求めがち 失敗から学ぶ〜を言い訳に
失敗を正当化すんな、という話
それは失敗の為の失敗なんだ 成功する為の失敗なら、最低限の失敗で済むはずなんだ 失敗している現状が当たり前になった時、失敗の為の失敗と化す >>105
失敗して成功する人間はいくらでもいるから
失敗せず成功する人間の話の方が貴重だ 割と自分自身に言い聞かせている部分もあるんだけど…
5年はなあ >>1
発想を実行すると必ずなんらかの痛みが生じる
なめんな 失敗をして成功しなかった人間
失敗せず成功した人間
前者が偉そうで、後者の扱いが悪くなるのが嫌なんだ >>119
俺自身が5年で色々あって、失ったものが多過ぎたから痛感 叩かれ続け多数の脱落者がを出してきた集団の生き残りと
何も失敗しないで上手くやってきたのと
どっちが強いかの話だよね? >>123
後者も悪ではないだろ、という話
後者から学ぶこともあるし… 高校中退やらした連中、自分は経験豊富と勘違いして
平々凡々と生きてきた(ように見える)連中を見下しがち
ぬくぬく生きてるだけ、とか…
一応大卒ではあり、行きたくないダルい言いながら気が付けば皆勤タイプだった自分からすれば許せない
あいつらって実は普通に学校を卒業する、という経験をしていないのだよな
なのにやたら偉そう、なのにやたら持ち上げられる
畜生中卒がそんなに偉いか
あいつらの自分だけ苦労してきた感が不愉快
まるで大卒であることが悪いみたいに感じてしまう >>123
後者は余力あるからその後も上手くやり得るケースあるし…
自分自身が後者とは程遠いから尚更思う 5年前まで、失敗するための挑戦をずっとしていたから尚更。
失敗から学ぶ、という大層なものではなく、挑戦はした、という事実が欲しかった。
やるだけやったからね!?ね!?ね!?
舞台に上がろうとする意志はないわけではないからね!?ね!?ね!?
だからもういいよね!?(PC電源ポチッ)
伊集院ラジオの投稿ネタであった、バイトの面接に実は落ちたい的な。
受けなけりゃいいじゃん、ってのは的外れで、受けたけど落ちた、という事実が重要なんだよな。
転職期には落ちる前提のやっつけ面接は確かにあった。 >>124
賢者は歴史に学ぶからね
でもたいていの凡人はミスしないなんてないし痛くなければ覚えないし恥もかくし理不尽な目にも合うからその回避できないイベントを「意味がある」と捉える事で生きているということで 落ちる前提のやっつけ面接は
まさに失敗の為の失敗
実際、面接を受けることが目的と化し
面接の予定を入れて満足していた
本来の目的は違うわけで… 落ちる前提のやっつけ面接はわかりやすいでしょ
誰でも陥り得るから尚更 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています