1936年5月10日の運動会終了後、6個入りの大福が生徒や職員に配布された[1]。配布翌日以降、大福を食べた者が食中毒を発症し、その数は『浜松市史』の記述では生徒883名、生徒の家族1161名、職員21名、職員家族51名にも上り、そのうち生徒29名、生徒家族15名の合計44名が死亡した[1][2][注釈 3]。

中毒の原因について、当初は製造元を解雇された人間の怨恨による毒物混入や緑青中毒、製造過程での過失といった言説が流れた(怨恨説については、該当する人物が一時警察に検挙拘留された)が、被害者の中に近傍の浜松飛行第7連隊や高射砲第1連隊の関係者が含まれたことから、陸軍軍医学校が北野政次(当時二等軍医正)[注釈 4]を派遣して調査し、市内の菓子店で製造された際に混入した「ゲルトネル氏腸炎菌(サルモネラ)」と発表した[1][2][4][3][5]。菓子店は店内にネズミが横行するような劣悪な衛生環境だったとされる[3]が、その混入経過の解明にまでは至らなかった[1]。大福は白餡入りと黒餡入りが3個ずつ配布されたが、発症者はすべて黒餡入りを食べた者だったことから「黒餡の大福のみ(目立たないという理由で)ネズミの糞を取り除かなかったのではないか」とする見解がある[3]。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/浜一中大福餅事件