拷問官「信長・秀吉・家康の誰かに子供のころからずっと仕えろ!」←誰を選ぶ?
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猿 初期が下っ端でクソ環境
狸 同僚が血の気の多い脳筋だらけでうざそう 歴史に干渉出来るかどうかによるな
信長に仕えて助けた未来線見てみたい 家康やろな
でも東側の領地与えられたら武田に殺されそう 秀吉の子飼い達ってかなりええ暮らししとったんやろ?
選ぶまでもないと思うが >>16
それだと秀吉が1番楽かもな
どんな美少年だろうが一切男に興味なかったみたいやし この時代やと代々仕えてる家より若くから直属の部下やってる奴の方が信頼される 鳴かぬなら殺してしまえホトトギス←合理主義者
鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス←詐欺師
鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス←昼行灯 >>21
ノッブ「浅井が裏切りやがったんで転進するわ、ついてはお前しんがりな」
サル「おかのした」 秀吉に仕えて仙石権兵衛とともにいればワンチャンス
なお九州 秀吉
ボケた晩年以外は人当たりのいいエピソードが色々あるし ただし秀吉に仕える場合石田三成に転生するものとする >>26
関ヶ原起こす前に良きところで隠居すればええな🤗 秀吉直属ではなくて秀長直属の部下になって、秀吉は遠いてっぺんの偉い人として見たい 秀吉に仕えつつも秀吉死んだら家康に鞍替えすればええか のぶ→万見仙千代END
さる→落書き門番END
脱糞→本多信俊END 信長に仕えて秀吉と仲良くなって関が原で家康の味方するわ >>31
蜂須賀小六が1番の勝ち組やな
まぁ子孫がアレやけど本人は死ぬまで幸せやったろうし 信長→恐怖系サイコ
秀吉→実利系サイコ
家康→変人 実際、この3人にずっと使えたやつどんだけおるんや? >>34
家康「長年信長・秀吉に仕えてそれを裏切るとは信用ならん
関ケ原終わったら用済みだな」 秀吉が一番マシか?
その後のムーヴ次第では家康ともそれなりの関係築けそう まぁ秀吉は確実にノンケって安心感はあるわな
ただあの3人の中やと多分一番冷酷 秀吉に仕えた場合チョンを滅亡に追い込んで清の愛新覚羅の代わりに数世紀早く大日本帝国にするとか出来る?
関が原になって小早川の裏切り予見とかしても次々苦労しそう
そこで回避フラグ選び取るより朝鮮と明確実にボコる方が堅実やろ 信長に仕えて信長が殺されたら1番に戻って光秀殺すわ のぶの場合アスペ過ぎてきつい
本能寺乗り切っても次々やらかしそう
家康は江戸時代とか言う一見平和の国民総奴隷暗黒時代過ぎてきつい 歴史を知ってるから何とでも言えるわけで
秀吉死後とか絶対西軍入って改易エンドだろ 信長に仕えて、秀吉が大名になったら秀吉に仕えて、秀吉が死んだら家康に仕える 歴史的結果知らないで使えるなら
信長かな
なんだかんだで部下を大事にしてたし
佐久間信盛は蟄居処分受けたけど、やらかしまくった末にだし、腹を切らずに済んだし
あんなに重用してくれてたのに
裏切った光秀がよくわからん 家康は大坂の陣の後直ぐ死んでるから仕えるなら秀忠の方やな
秀忠は家康恩顧の大名潰しまくったから容赦無いぞ >>1
織田信長の楽市楽座も兵農分離も戦前の通説が近年の歴史研究で否定されとるんやで
>ちょっと専門的な内容。「楽市楽座」は、信長が始めたわけでもなく、習ったような内容でもなく、自由経済の先駆けのように捉えるのは、後の世の偏った見方のようだ。敵国の近くなど戦略上重要な場所に人を集めるために、安心して商売ができるよう保護したのが「楽市」で、「楽座」の事例は少なく、内容も「座」を廃することではなく、座からの徴収金を減らして商人にとって楽になるという意味であった。教科書で習った「楽座」=「破座」は秀吉の時代の話であるようだ。歴史の教科書はどんどん変わっていくので、世代間の常識に隔絶が生じるなあ。
>刺激的な一冊。「楽市楽座=信長」というイメージを廃し、織豊系以外の大名の「楽市」も考察する。大名ごとに様々な目的で出され、恣意的に運用される「楽市」は「自由な商取引」という言葉だけでは説明がつかず、また商人側も「諸役免除」に拘り、それが「楽市」に伴うものかどうかは重視しない。さらに衝撃は「楽座」で、それが役銭の減免を願う座側の申し出であり、「座の特権廃止」とは全く異なるということ。常識が揺さぶられるエッジの立った内容で、大変勉強になりました。
楽市楽座はあったのか (中世から近世へ)
https://bookmeter.com/books/13447652 ●「楽市楽座」の実態
そもそも「楽市」とはもっぱら諸役免除(税や夫役の免除)を認可された市場を意味する。
誤解が多いが「誰でも自由に商売が行える"フリー"マーケット」などではない。
信長に限らず六角氏や今川氏など各地の大名が発行した「楽市令」とはもっぱら諸役免除に加え押売・押買など不当行為の禁止を明記し市場の安全を保証する内容で共通している。
(なお信長は京において「名物狩り」という押買行為を行っている)
そして織田信長の「楽座」とは座の廃止どころか座を認めた上で税(座役銭)を軽減するという座の優遇政策だった。
朝倉氏の滅亡後、庇護下にあった座を信長が安堵した史料も残る。
実際の座の廃止にあたる「破座」令は後年の豊臣政権下で行われた。
そもそも「楽市楽座」の通説は皇国史観で悪名高い日本史学界の黒歴史・平泉澄が捏造したもの。
そして「鎖国」や「士農工商」同様、史実と大きく乖離した内容が歴史教育の場で定着してしまった。
関所についても信長は他の大名と同じく支配拡大で不要になった軍事関は廃止しても
関税を徴収する商業関は多くが存続し、恭順した勢力の既得権益が保証された事例も多い。
例えば信長支配後の京では関税徴収の先駆けである「京の七口」が存続しており
琵琶湖においては水運を支配する堅田衆の関税を織田に上納させ、当地の関税に伊達家の使者が不満を記した史料も残る。
こうした信長支配後も存続した商業関は豊臣政権になり廃止が進んだ。
明治以降の皇国史観や井沢元彦の歴史ファンタジーで定着した「織田信長=既得権益と戦い中世を終わらせ新たな時代を築いた英傑・天才」という史観は近年の歴史研究の視点ではもはや時代遅れ。
むしろ「最初の天下人」こと三好氏凋落後の畿内における既得権益との癒着や支配地への過酷な課役、京の地子銭の復活など前時代的な方針こそが織田氏の権力拡大に多いに寄与したとされる。 ●「兵農分離」の実態
90年代に大ヒットした井沢元彦のトンデモ歴史ファンタジー「逆説の日本史」によって
「戦国時代、信長以前の大名の主兵力は農民で合戦は農閑期しか行えなかった。それを信長は「兵農分離」を行い常備軍を有して一年中合戦を行えるようにした」という俗説が世間に広まったが…
この「信長の兵農分離」概説、現在多くの歴史研究者に多方面から否定されている。
そもそも信長が兵農分離政策を行った証拠とされてきた史料
(「信長公記」中の記述)とは、実は
古くは朝倉氏が分国法で定めるなど既に各地の大名が行っていた城下集住すら織田氏は遅れていた、信長の革新性どころか後進性を示すだけのものであった。
兵農分離を行った証拠は実はない(真田丸の時代考証・丸島和洋氏の解説)
https://togetter.com/li/327812
ちなみにその記述を要約すると「信長は安土に移転後も未だに城下に妻子を移住させない家臣達に怒り、失火事件を機に彼らの実家を焼き討ちした」というもの。
今川義元が勢力を伸ばす時期、既に有力大名は寄親寄子制や直属の牢人衆などで季節に関わらず兵を動員する体制を構築しており
今川軍が桶狭間の戦いで6月に大軍を動員できたのもこの理由。川中島の戦役でも両軍が夏期の農繁期に対峙している。
豊臣政権の小田原征伐に対する後北条氏の百姓動員令のような事例は緊急事態に限られ、その状況においても百姓の主な仕事は普請等で直接戦闘に参加する事は少なかった。 ●織田信長の生前に最も近い肖像画
信長の肖像は従来緑色の服装の肖像画(長興寺蔵)がポピュラーで教科書にも載ってきたが
近年の歴史研究の書籍ではこちらの肖像画(大徳寺蔵)の採用が増えている
http://www.shouzou.com/mag/p/daitokuji700px.jpg
https://star.ap.teacup.com/tensi/timg/middle_1308435680.gif
この肖像画は生前の信長に面会した絵師の狩野永徳本人が制作したもので緑のものより写実性に優れ、
信長は丸顔ではなく痩せた面長な顔であったことが伺える。
有名な緑色の服の肖像画は永徳が安土に赴く間実家の留守を預かった弟・元秀が(大徳寺蔵)を模写して描いたものと考えられ、
他に残る複数の肖像画もやはり(大徳寺蔵)やその模写を基に描かれたとされる。 >>46
万が一、仮に明落とせたとしても華夷秩序に飲み込まれて中国になるのがオチやない?
明は諦めて朝鮮だけ落とすにしても朝鮮統治にリソース割かなきゃいけないこと考えると正直割りに合わない
陶芸職人やら技術やら持ってくるなら別に史実通りでええわけやしな
日本優勢な状態で不平等条約押し付けがベストやろうけど
勝ってる状態で晩年の秀吉が引くとも思えない どっちみち無能だから誰に仕えても雑兵エンドではなかろうか🤔 家康は四天王でも井伊直政くらいしか
良くしなかったし
たぬきジジイのイメージが強くて嫌いだわ 前田利家の人生がベストだろうな
ロリコンと結婚できるし 信長が桶狭間にむけて駆け出した時に従った7人の小姓達はその後全員戦死したり喧嘩で死亡したり >>65
11歳で結婚して12歳で出産やろ、当時としては珍しくないんやろけもとんでもないな 信長→常に全力を出さなきゃ解雇
秀吉→めちゃくちゃ面倒みて引き立ててくれるが秀吉の晩年になると理不尽な理由で殺される
家康→どんなに頑張っても10万石 家康…仕えるほうも事実上人質。ある日突然殺される可能性あり。
秀吉…農民なので報酬は三度の食事が出ればいいほう? 農作業もたぶん手伝わされる。
信長…織田家内部はギスギスしていて、家督争い(注:殺し合い)もあった。あと信長のおじいちゃんも危ない人だった説。屋敷内で刀振り回したとか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています