「怒りにはいつも理由がある。ただし、正当な理由はめったにない」
(ベンジャミンフランクリン)

「然るべきことがらについて、然るべきひとびとに対して、そしてまた然るべき仕方において、然るべきときに、然るべき間だけ怒る人は賞賛される」(アリストテレス『ニコマコス倫理学』)

ある種の気概のなさであれ、他の何かであれ、怒りの不足は非難される。実際、怒るべき事柄に怒らない人も、怒るべき仕方で、怒るべきタイミングで、怒るべき相手に対して怒らない人も、愚か者だと思われているのである。なぜなら、このような人は無感覚であり、苦痛を覚えないように思えるし、その上怒らないがゆえに、自己の防衛ができないように思えるが、自ら屈辱を受けてもそれに甘んじ、身内のそのような被害にも手をこまねいているだけであるということは、まるで奴隷のようなことだからである。–略– 中間の性向は賞賛され、そのような性向に基づいて、そして怒るべき相手に、怒るべき事柄について、また怒るべき仕方で–その他この種の限定条件をすべて満たすように–われわれは怒るべきなのである。