プーチンの家族も例外ではなく、戦争で多くを失った。母親は飢えで死にかけ、父親は戦場でひどく負傷し、プーチンの二人の兄はいずれもプーチンが生まれる前に病死した。プーチンが生まれた1952年、レニングラードは大戦の傷跡が未だ癒えず冷戦の最中にあった。父親は工場で働き、母親も常に仕事で家を空けていた。プーチンは電気と水道が通っていない、ネズミであふれ返った共同アパートで孤独に育つこととなる。小柄で痩せ細っていたため、同級生からいじめられ、共同アパートの別家族からも暴力を振るわれ、プーチンの幼少期は安全と愛情とは無縁の生活だった。