「飢えた母は意識を失い倒れ込んだ。冷たくなった人達を台車に乗せる作業をしていた軍の人間が、横たわった母を連れて行こうとした。」

プーチンが生まれたレニングラード(現サンクトペテルブルク)は第二次世界大戦前には300万を超える人口を擁するソビエト連邦第2の大都市だった。戦時中にドイツ軍によって包囲された3年足らずのうちに亡くなった市民は100万人を上回った。その犠牲者のほとんどが餓死したと言われている。最も食糧確保に苦しんだ冬の間、人々は1日125グラムのパンしか口にすることができなかった。しかもそのパンの50-60%は木くずなどの本来食用でない原料が占めていたと言うから驚きだ。ドイツ軍の脅威と食糧難、病気、寒さに晒され、人々は過酷で悲惨な生活を強いられた。